理事長室 |
コミケにてなんとなく了承がとれたようなので, 今後とも当学園は勝手にあろ先生を理事長として仰いでいきます. (だからと言って,あろ先生が出資している というわけではないので,誤解のないようお願いします.) |
コミケ56終了後に戴いたお言葉 |
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grus様およびホームページを見てコミケのブースに来ていただいた皆様。 およそ商業誌が主な活動の場であるプロの作家というものは、 自分のファンと直接遭える機会というものが極端に限られています。 (事実この二年間で出会ったファンのほとんどはコンベンションにゲスト 参加したときに来てくれたアメリカ人でした。) そういったわけで、 今回のコミケでわざわざうちのブースに来ていただき声を交わせたことは、 僕としても大変嬉しいことでした。 本当にありがとう。 ご存知の通り、コミケでの僕の参加の仕方はかなり匿名性の高いものです。 今回友人から「ホームページに情報を書き込んでいいか?」 とつつかれなかったら、 皆さんから「なぜ発表しないのか!」と避難されたかもしれませんね。 ごめんなさい。 ただ僕の中ではコミケというものはあくまで同人活動の場であって、 同人誌でしか出来ないことをする為に参加しているという意識があるため、 あえて自分から宣伝したりしてことさらに自分の名前で人を集める行為はしてきませんでした。 ですから「どうしても来たいのならば石にかじり付いても探し出してみろ」 なんて傲慢な気持ちや「自分のファンであっても会いたいとは思わない」 なんて非社交的な気持ちが有ったわけではありません。 (ここだけの話ですが、この参加姿勢を貫いてきたおかげで コミケット準備会での受けが良く、 サークルの配置決めのときなど比較的良い場所に 優先的に置いてもらえていると友人のスタッフから聞きました。) CD-ROMカタログのおかげで作家名から検索できるようになり、 今さら隠す必要もなくなりましたのでここに書いておきます。 これから当分の間は「貸本屋」と云うサークルでコミケに参加していきます。 僕の作品に興味があり、 僕に聞きたいことや言いたいことがある人はぜひ立ち寄ってください。 直接本人の口から聞き出す裏話は、 なかなかスリリングなものもあるかも知れませんよ。 それでは、 あろひろし |
プロフィール | |
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本名 | (2009-07-05補足:以前はこちらにあろ先生の本名を記載していましたが、 プライバシーに関わるため削除いたしました。Grus) |
生年月日 |
1959年(父はサラリーマンだそうです)
(2003-01-01補足:以前は日付まで記載していましたが,プライバシー に関わるため生年のみの記述としま した.ここに修正してお詫びいたします。Grus) |
出生地 | 東京都 小岩? |
血液型 | O型 |
デビュー | 「スタートラブルスペコマE−1」(80年赤塚賞下期準入選、週刊少年ジャンプ2・3合併号掲載) |
趣味 | アニメ、ファンタジー小説(「ペリー・ローダン」も読んでいる) |
経歴 |
都立高校で漫研に所属、建築関係の専門学校卒業歴あり。 (1999-08-26捕捉:「デザイン学校卒業歴あり」と表記していましたが, あろ先生より「建築関係の専門学校でありデザインとは関係ない」との指摘がありましたため, ここに修正してお詫びいたします。Grus) 20の時漫画家になろうと志し「少年ジャンプ」に持ち込んだ所、 秋本 治のアシスタントを紹介され 「ごめんください!アリゲーター」連載前後まで1年半 (「こち亀」の単行本で言うと22〜28巻の頃)勤める。 この時アシ同期に うすね 正俊がいた。 「おみそれ!トラぶりっ娘」打切後に人気が伸び悩み、 「ザ・シェフ」(古くは「ロン先生の虫眼鏡」)で知られる加藤 唯志の アシスタントをしていたが、 桂 正和「ウイングマン」の長期休載代打で掲載された 「とっても少年探検隊」で絵柄を変えて復活。 「優&魅衣」から「月刊少年ジャンプ」に移り、人気が安定。 85年頃(「ESP少女隊ハイパー3」から?)集英社の独占契約を解除し 「少年キャプテン」やラポート発行の各種アンソロジーを中心に、 マイナー系作家で人気ある一人となった。 仕事場を「すたぢおぱらのい屋」と命名。 常駐アシの すぎたに こうじ、臨時アシの清水 兆次と準合作を発表する事もある。 他にアシスタントから落合 寿男、猫島 礼、プロレスラー1名(笑)を輩出。
(情報提供:紅山さん)
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